。僕が聴《き》いてお差支《さしつか》えがなければ何事でも承《うけ》たまわりましょう。」
「聴いて下さいますか。それならお話しましょう。けれども僕の運命の怪しき力に惑《まど》うて居る者ですから、其|積《つもり》で聴いて下さい。若《も》し原因結果の理法と貴様《あなた》が言うならそれでも可《よ》う御座います。たゞ其原因結果の発展が余りに人意の外《そと》に出て居て、其|為《ため》に一人《ひとり》の若い男が無限の苦悩に沈んで居る事実を貴様が知りましたなら、それを僕が怪しき運命の力と思うのも無理の無いことだけは承知下さるだろうと思います、で貴様に聞きますが此処《ここ》に一人の男があって、其男が何心なく途《みち》を歩いて居ると、何処《どこ》からとも知れず一《ひとつ》の石が飛んで来て其男の頭に命中《あた》り、即死する、そのために其男の妻子は餓《うえ》に沈み、其為めに母と子は争い、其為に親子は血を流す程の惨劇を演ずるという事実が、此世に有り得ることと貴様《あなた》は信ずるでしょうか。」
「実際有ることか無いことかは知りませんが、有り得ることとは信じます、それは。」
「そうでしょう、それなら貴様は人の意表に出た原因のために、ふとした原因のために、非常なる悲惨がやゝもすれば、人の頭上に落ちてくるという事実を認《した》たむるのです、僕の身の上の如《ごと》き、全《まっ》たく其《それ》なので、殆《ほと》んど信ず可《べ》からざる怪《あや》しい運命が僕を弄《もてあ》そんで居《い》るのです。僕は運命と言います。僕にはそう外《ほか》には信じられんですから。」と言って彼は吻《ほっ》と嘆息《ためいき》を吐《つ》き、
「けれども貴様|聴《き》いて呉《く》れますか。」
「聴《き》きますとも! 何卒《どう》かお話なさい。」
「それなら先《ま》ず手近な酒のことから話しましょう。貴様は定めし不思議なことと思って居るでしょうが、実は世間に有りふれたことで、苦悩《くるしみ》を忘れたさの魔酔剤に用いて居《お》るのです。砂の中に隠して置くのは隠くして飲まなければならない宅の事情があるからなので、その上、此《この》場所は如何《いか》にも静で且《か》つ快濶《かいかつ》で、如何《いか》な毒々しい運命の魔も身を隠して人を覗《うか》がう暗い蔭《かげ》のないのが僕の気に入ったからです。此処《ここ》へ身を横たえて酒精《アルコール》の力に身を托《たく》し高い大空を仰いで居る間は、僕の心が幾何《いくら》か自由を得る時です。その中《うち》には此激烈な酒精《アルコール》が左《さ》なきだに弱り果《はて》た僕の心臓を次第に破って、遂《つい》には首尾よく僕も自滅するだろうと思って居ます。」
「そんなら貴様《あなた》は、自殺を願うて居るのですか。」と自分は驚いて問うた。
「自殺じゃアない、自滅です。運命は僕の自殺すら許さないのです。貴様、運命の鬼が最も巧《たくみ》に使う道具の一は『惑《まどい》』ですよ。『惑』は悲《かなしみ》を苦《くるしみ》に変ます。苦悩《くるしみ》を更に自乗させます。自殺は決心です。始終|惑《まどい》のために苦んで居る者に、如何《どう》して此決心が起りましょう。だから『惑』という鈍い、重々しい苦悩《くるしみ》から脱れるには矢張《やはり》、自滅という遅鈍《ちどん》な方法しか策がないのです。」
と沁々《しみじみ》言う彼の顔には明《あきらか》に絶望の影が動いて居《い》た。
「如何《どう》いう理由《わけ》があるのか知りませんが、僕は他人の自殺を知って之《これ》を傍観する訳には行きません。自滅というも自殺に違いないのですから。」と自分が言うや、
「けれども自殺は人々の自由でしょう。」と彼は笑味《えみ》を含んで言った。
「そうかも知れません。然《しか》し之を止め得るならば、止めるのが又人々の自由なり義務です。」
「可《よ》う御座います。僕も決して自滅したくは有りません若《も》し貴様《あなた》が僕の物話《はなし》を悉皆《すっかり》聴《きい》て、其《その》上《うえ》で僕を救うの策を立てて下さるのなら僕は此《この》上《うえ》もない幸福です。」
 斯《こ》う聞いては自分も黙って居られない、
「可《よろ》しい! 何卒《どう》か悉皆《すっかり》聴かして貰《もら》いましょう。今度は僕の方からお願します。」

      三

「僕は高橋信造《たかはししんぞう》という姓名ですが、高橋の姓は養家のを冒《おか》したので、僕の元の姓[#「姓」は底本では「性」]は大塚《おおつか》というです。
 大塚信造と言った時のことから話しますが、父は大塚|剛蔵《ごうぞう》と言って御存知でも御座《ござ》いますか、東京控訴院の判事としては一寸《ちょっと》世間でも名の知れた男で、剛蔵の名の示す如《ごと》く、剛直|一端《いっぺん》の人物。随分僕を教育
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