いつ》しか心を全然《すっかり》書籍《ほん》に取られて了《しま》った。
然《しかる》にふと物音の為《し》たようであるから何心なく頭を上げると、自分から四五間離れた処《ところ》に人が立《たっ》て居たのである。何時此処へ来て、何処《どこ》から現われたのか少《すこし》も気がつかなかったので、恰《あだか》も地の底から湧出《わきで》たかのように思われ、自分は驚いて能《よ》く見ると年輩《とし》は三十ばかり、面長《おもなが》の鼻の高い男、背はすらりとした※[#「月+叟」、第4水準2−85−45]形《やさがた》、衣装《みなり》といい品といい、一見して別荘に来て居る人か、それとも旅宿《やど》を取って滞留して居る紳士と知れた。
彼は其処《そこ》につッ立って自分の方を凝《じっ》と見て居る其《その》眼《め》つきを見て自分は更に驚き且《か》つ怪しんだ。敵《かたき》を見る怒《いかり》の眼か、それにしては力薄し。人を疑う猜忌《さいぎ》の眼か、それにしては光鈍し。たゞ何心なく他を眺《ながむ》る眼にしては甚《はなは》[#「甚」は底本では「其」]だ凄味《すごみ》を帯ぶ。
妙な奴《やつ》だと自分も見返して居ること暫《しば》し、彼は忽《たちま》ち眼を砂の上に転じて、一歩一歩、静かに歩きだした。されども此《この》窪地《くぼち》の外に出ようとは仕《し》ないで、たゞ其処らをブラブラ歩いて居る、そして時々|凄《すご》い眼で自分の方を見る、一たいの様子が尋常でないので、自分は心持が悪くなり、場所を変る積《つもり》で其処を起《た》ち、砂山の上まで来て、後《うしろ》を顧《かえりみ》ると、如何《どう》だろう怪《あやし》の男は早くも自分の座って居た場処に身体《からだ》を投げて居た! そして自分を見送って居る筈《はず》が、そうでなく立《たて》た膝《ひざ》の上に腕組をして突伏《つッぷ》して顔を腕の間に埋《うず》めて居た。
余りの不思議さに自分は様子を見てやる気になって、兎《と》ある小蔭《こかげ》に枯草を敷て這《は》いつくばい、書《ほん》を見ながら、折々頭を挙げて彼《か》の男を覗《うかが》って居《い》た。
彼はやゝ暫《しばら》く顔を上《あげ》なかった。けれども十分とは自分を待《また》さなかった、彼の起《たち》あがるや病人の如《ごと》く、何となく力なげであったが、起《た》ったと思うと其《その》儘《まま》くるり[#「くるり」
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