河岸にて木造の外だけを飾りに煉瓦《れんが》に積みしなれば、暗くして湿りたり。この活版所に入りてここに泊り朝より夕まで業に就き、夕よりまた夜業とて活字を取扱う。随分と苦しけれど間々に新聞雑誌などを読む事も出来、同僚の政治談も面白く、米国のある大学者も活版職より出たり、必竟《ひっきょう》学問を字を習い書を読む上にのみ求めんとせしは我が誤ちなりし、造化至妙の人世という活学校に入りて活字をなすべしと、弱りたる気を自ら皷舞して活発に働きしゆえ、大いに一同に愛敬せられ、思いの外の学者なりと称えられたり。
 月日の経つは活字を拾うより速かに、器械の廻るより早し。その年の夏となりしが四五月頃の気候のよき頃はさてありしも、六七月となりては西洋|擬《なぞら》いの外見煉瓦蒸暑きこと言わん方なく、蚤《のみ》の多きことさながらに足へ植えたるごとし。呉牛《ごぎゅう》の喘ぎ苦しく胡馬《こば》の嘶《いなな》きを願えども甲斐なし。夜はなおさら昼のホテリの残りて堪えがたければ迚《とて》も寝られぬ事ならば、今宵は月も明らかなり、夜もすがら涼み歩かんと十時ごろより立ち出で、観音へ参詣して吾妻橋の上へ来り。四方を眺むれば橋の袂に焼くもろこしの匂い、煎豆《いりまめ》の音、氷屋の呼声かえッて熱さを加え、立売の西瓜《すいか》日を視るの想あり。半ば渡りて立止り、欄干に倚《よ》りて眺むれば、両岸の家々の火、水に映じて涼しさを加え、いずこともなく聞く絃声流るるに似て清し。月あれども地上の光天をかすめて無きが如く、来往の船は自ら点す燈におのが形を示し、棹に砕けてちらめく火影櫓行く跡に白く引く波、見る者として皆な暑さを忘るる物なるに、まして川風の肌に心地よき、汗に濡れたる単衣《ひとえ》をここに始めて乾かしたり。紅蓮《ぐれん》の魚の仏手に掏《すく》い出されて無熱池に放されたるように我身ながら快よく思われて、造化広大の恩人も木も石も金もともに燬《や》くるかと疑わるる炎暑の候にまたかくの如く無尽の涼味を貯えて人の取るに任すとは有難き事なりと、古人の作中、得意の詩や歌を誦するともなく謡うともなくうめきながら欄干を撫でつつ歩むともなく彳《たたず》むともなく立戻《たちもと》おり居るに、往来の人はいぶかしみ、しばしば見かえりて何か詞《ことば》をかけんとして思いかえして行く老人あり、振りかえりながら「死して再び花は咲かず」と俚歌《りか》を
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