良夜
饗庭篁村
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【テキスト中に現れる記号について】
《》:ルビ
(例)手習《てならい》
|:ルビの付く文字列の始まりを特定する記号
(例)末|覚束《おぼつか》なき
[#]:入力者注 主に外字の説明や、傍点の位置の指定
(数字は、JIS X 0213の面区点番号、または底本のページと行数)
(例)※[#「足へん+宛」、第3水準1−92−36]《もが》くを
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予は越後三条の生れなり。父は農と商を兼ねたり。伯父は春庵とて医師なり。余は父よりは伯父に愛せられて、幼きより手習《てならい》学問のこと、皆な伯父の世話なりし。自ら言うは異な事なれど、予は物覚えよく、一を聞て二三は知るほどなりしゆえ、伯父はなお身を入れてこの子こそ穂垂という家の苗字を世に知らせ、またその生国《しょうごく》としてこの地の名をも挙るものなれとて、いよいよ珍重して教えられ、人に逢えばその事を吹聴さるるに予も嬉しき事に思い、ますます学問に身を入れしゆえ、九歳の時に神童と言われ、十三の年に小学校の助教となれり。父の名誉、伯父の面目、予のためには三条の町の町幅も狭きようにて、この所ばかりか近郷の褒め草。ある時、県令学校を巡廻あり。予が講義を聴かれて「天晴《あっぱれ》慧しき子かな、これまで巡廻せし学校生徒のうちに比べる者なし」と校長に語られたりと。予この事を洩れ聞きてさては我はこの郷に冠たるのみならず、新潟県下第一の俊傑なりしか、この県下に第一ならば全国の英雄が集まる東京に出るとも第二流には落つまじと俄かに気強くなりて、密《ひそ》かに我腕を我と握りて打笑《うちえ》みたり。この頃の考えには学者政治家などという区別の考えはなく、豪傑英雄という字のみ予が胸にはありしなり。さりければなおさらに学問を励み、新たに来る教師には難問をかけて閉口させ、後には父にも伯父にも口を開かせぬ程になり、十五の歳新潟へ出て英学をせしが教師の教うるところ低くして予が心に満足せず。八大家文を読み論語をさえ講義し天下を経綸《けいりん》せんとする者が、オメオメと猿が手を持つ蟻《あり》が臑《すね》を持つの風船に乗って旅しつつ廻るのと、児戯に類する事を学ばんや。東京に出でばかかる事はあるまじ。龍は深淵にあらねば潜れず、東京へ出て我が才識を研《と》ぎ世を驚かすほどの大功業を建てるか、天下第一の大学者とならんと一詩をのこして新潟の
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