て、いかなる奇功《きこう》を立《たて》たるやはかりがたし、殊《こと》に此地《このち》に一|名園《めいゑん》を加《くは》へたるは私利《しり》のみなりといふべからず、偖《さて》此《こ》の菊塢《きくう》老年《らうねん》には学問も少しは心がけしと見え、狂歌《きやうか》俳句《はいく》も左《さ》のみ手づゝにはあらず、我《わ》が蔵《ざう》する菊塢《きくう》の手紙には、梅《うめ》一枝《いつし》画《ゑが》きて其上《そのうへ》に園《その》の春をお分《わか》ち申《まを》すといふ意味の句あり、また曲亭馬琴《きよくていばきん》が明《めい》を失《しつ》してのち、欝憂《うさ》を忘るゝために己《おの》れと記臆《きをく》せし雑俳《ざつぱい》を書《かき》つらねて、友におくりし中《うち》に、此《この》菊塢《きくう》の狂歌《きやうか》二|首《しゆ》発句《ほつく》一|句《く》あり、(手紙と其書《そのしよ》も移転《ひつこし》まぎれに捜《さが》しても知れぬは残念《ざんねん》)兎《と》にも角《かく》にも一個《いつこ》の豪傑《がうけつ》「山師《やまし》来《き》て何《なに》やら植《う》ゑし隅田川《すみだがは》」と白猿《はくゑん》が、芭蕉
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