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佛以[#二]周昭王二十四年[#一]生、穆王五十三年滅。計入[#二]涅槃[#一]後、經[#二]三百四十五年[#一]、始到[#二]定王三年[#一]、老子方生。(中略)至[#二]敬王元年[#一]、凡經[#二]四百二十五年[#一]、始與[#二]尹喜[#一]西遁。據[#レ]此年載懸殊。無[#二]乃謬[#一]乎(『古今佛道論衡』卷甲)
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かくて首尾好く論壇の勝利者と宣せられて居る。併し道士も中々屈伏せぬ。老子は東周の世に生れて、釋迦の後出といふかも知れぬが、老子は八十一變とて、何度となく生れ變つて來て居る。西周の時は勿論、殷の時にも生れて居る。釋迦はやはり老子の後人であるといふから、佛教徒も亦段々と釋迦の年代を繰り上げ、或は西周の初とし、或は殷の時代とし、或は夏の末などと主張いたす。これが釋迦出世の年代に關する異説を多くした原因の一つである。勿論印度本國でも、釋迦出世の年代に關する異説は隨分あつた。併しその多數、殊にその出世年代をより古代に置く説は、支那で製造されたもので、その目的は道教對抗に存するのである。
 大阪の人富永仲基の『出定後語』の下卷に、佛
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