の兩教は衝突した。支那の佛教にとつて、道教は第一の法敵であつた。佛家で三武の厄と稱する、佛教に尤も激しき迫害を加へた帝王は、何れも道教信者である。即ち第一に北魏の太武帝は道士寇謙之を信用して佛教に迫害を加へた。北周の武帝も佛教を迫害したが、これは道士の張賓や衞元嵩に聽いた結果である。唐の武宗も道士の趙歸眞を信じて、寺院を破壞し僧侶を還俗せしめた。『佛道論衡』とか『弘明集』『廣弘明集』などを見ると、南北朝・隋・唐時代に於ける道佛二教の衝突の有樣はよく判然するが、この間に在つて何時も爭論の中心となり、尤も舞臺を賑はしたのは『老子化胡經』即ち略稱の『化胡經』である。『老子化胡經』の來歴は、やがて道佛二教の衝突小史である。

         二

『老子化胡經』とは、老子が西域印度へ出掛けて、幾多の胡國を教化したことを書いたもので、西晉の惠帝の頃に、道士の王浮(或は王符に作る)といふ者の僞作に係る。王浮がこの書を僞作するに至つたには相應の由來がある。
(第一) 一體老子の學説は頗る印度的色彩を帶びて居る。老子の學説を波羅門哲學と對比すると、兩者の間に尠からざる類似がある。故に歐洲の學者は多く
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