[#一]、不[#レ]可[#レ]傚[#二]西戎之法[#一]。
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と主張し、道士張融の作と稱せらるる『三破論』に、
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今中國有[#二]奉[#レ]佛者[#一]、必是羌胡之種。若言[#レ]非耶、何以奉[#レ]佛。
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と絶叫せるが如き、その一例である。佛教徒も之には尠からざる打撃を受け、その防禦に全力を盡した。
當時佛教徒が『化胡經』の毒焔に對する最良の防禦法は、『化胡經』が後人の僞作たることを證明するにある。それには釋迦を老子以前の人として、老子が釋迦を教へるなどは、到底あり得べからざることを證明すればよい。是に於てか釋迦の誕生を成るべく古代に置く必要が起る。釋迦の降誕を西周の昭王の二十四年と定めて、老子より四百年も以前の人としたのは、この理由に本づくのである。後魏の孝明帝の正光四年(西暦五二三)に、道士僧侶を會して、佛道二教の祖師の出生先後を對論せしめし時、道士姜斌は『老子開天經』を引き、老子は西域にいたりて佛を侍者に充てたとあるから、老佛二者はこれ同時の人なりと主張せしに對して、法師の曇謨は左の如き駁撃を加へた。
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佛以[#二]周昭王二十四年[#一]生、穆王五十三年滅。計入[#二]涅槃[#一]後、經[#二]三百四十五年[#一]、始到[#二]定王三年[#一]、老子方生。(中略)至[#二]敬王元年[#一]、凡經[#二]四百二十五年[#一]、始與[#二]尹喜[#一]西遁。據[#レ]此年載懸殊。無[#二]乃謬[#一]乎(『古今佛道論衡』卷甲)
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かくて首尾好く論壇の勝利者と宣せられて居る。併し道士も中々屈伏せぬ。老子は東周の世に生れて、釋迦の後出といふかも知れぬが、老子は八十一變とて、何度となく生れ變つて來て居る。西周の時は勿論、殷の時にも生れて居る。釋迦はやはり老子の後人であるといふから、佛教徒も亦段々と釋迦の年代を繰り上げ、或は西周の初とし、或は殷の時代とし、或は夏の末などと主張いたす。これが釋迦出世の年代に關する異説を多くした原因の一つである。勿論印度本國でも、釋迦出世の年代に關する異説は隨分あつた。併しその多數、殊にその出世年代をより古代に置く説は、支那で製造されたもので、その目的は道教對抗に存するのである。
大阪の人富永仲基の『出定後語』の下卷に、佛
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