といひ、又文章といひ、實に立派なものである。名は『支那通史』といふけれど、朝鮮半島、滿洲地方及び塞外地方の歴史をも遺憾なく記載してあるから、やがて先生によりて東洋史科の設立を唱道せらるるに至つた基礎は十分其間に認められるのである。殊に驚くべきは、この時代に於て、先生は早く西洋方面の材料を利用されたことで、唐代の蘇魯支(Zarathustra)教や、摩尼(Mani)教や、景教(Nestor)のこと、さては唐代に於ける囘教徒の貿易通商のことまで十分に記載されてある。吾人は平常から、日本人の手になつた支那歴史や東洋歴史は殆ど一部も讀んだことがない。但し先生の『支那通史』のみは絶えず左右に置き、今日まで參考に資して居る。
『支那通史』は盛に支那人間に喧傳せられ、上海《シャンハイ》あたりでは早くより其の飜刻も出來、また『續支那通史』などいふ『支那通史』の後を承けて、元明清時代のことを記載した書物も出版されて居る位である。但しこの『續支那通史』は、日本の増田とかいふ人の作つたものだが、體裁といひ、材料といひ、文章といひ、實に拙劣極まるもので、先生の『支那通史』に對しては眞に狗尾を續ぐの憾がある。

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