るらしいといふ疑ひはもつて居つたのである。其の後石原正明の『年々隨筆』のうちにも、可なり精細な考證があつて、矢張り日本の紀元の疑ふべきことを主張して居る。併し勿論那珂先生の論文の如き堂々たるものは一もない。『文』といふ雜誌に紀元論が喧しくなつてから、學者の之に關する議論も多く世に公にせられたが、其のうちで那珂先生の論文と星野博士の論文とは流石に他を壓して居つた。殊に那珂先生のは尤も立論精確のやうに見受けられた。先生はこの紀元の事を研究する時に、支那朝鮮の古史をも比較參考せられたが、やがて日韓清古代の交通のことを仔細に研究さるることとなつた。或はこの三國古代の交通史を研究さるる間に、日本の紀元の疑ふべきことを發見されたのかも知れぬ。其れは何れにしても、先生のこの方面に關する智識は實に確なものである。明治二十七年頃の『史學雜誌』に連載された「朝鮮古史考」、及び同じ雜誌に掲げられた高勾麗の好大王(廣開土王)の碑の考證などは、今日に迄學者の推奬する所だ。
有名な『支那通史』はたしか明治二十一年頃に出版されたものと記憶する。是れは支那の太古より宋末迄を漢文で五册に書いたもので、材料といひ、體裁
前へ
次へ
全18ページ中6ページ目
小説の先頭へ
文字数選び直し
桑原 隲蔵 の一覧に戻る
作家の選択に戻る
◆作家・作品検索◆
トップページ
登録
ご利用方法
ログイン
携帯用掲示板レンタル
携帯キャッシング