第一の功績は、東洋史の開拓と發達とである。東洋史といふ科目を成立させたのも先生で、東洋史の教科細目を規定したのも亦先生である。先生が東洋史の研究に興味をもたれたのは、隨分古い時代のことと想像される。たしか明治十年頃のことと記憶するが、先生はわが國の紀元、即ち『日本書紀』の記事を基礎とした紀元は疑ふべきものがある。日本の紀元は實際より六百年ばかりも延長して居ると思はれるといふことを論ぜられたが、之には支那史や朝鮮史の方面の材料をも隨分利用されてあつた。この論文は後に明治二十一二年の頃の『文』といふ雜誌に轉載せられた。之に對する贊否の議論は非常なもので、頗る當時の學界を賑はしたものである。
一體わが國の紀元に就ては、隨分古き頃から疑ひを挾む人があつた。吾輩の記憶する所では、藤井貞幹の『衝口發』などが其古きものの一である。此人は神武天皇の御即位紀元の歳は支那の東周の時代ではなく、西漢の末頃に當るべきものであるといふ、極めて大膽な議論を主張したものだ。之に對して本居宣長は、『鉗狂人』といふ書物を著して熱心に辯駁を試みたが、併し本居翁も日本の應神、仁徳天皇以前の年代は、實際よりも多少延長して居
前へ
次へ
全18ページ中5ページ目
小説の先頭へ
文字数選び直し
桑原 隲蔵 の一覧に戻る
作家の選択に戻る
◆作家・作品検索◆
トップページ
登録
ご利用方法
ログイン
携帯用掲示板レンタル
携帯キャッシング