》附近の地理を明かにする必要を感ぜられた。所が西暦千八百九十一二年の頃に、ロシアではこの地方即ちオルコン河の方面に學術的探險隊を派遣して、綿密なる調査を試みた。其の結果がロシア文か、然らずば多くドイツ文で書いてある。之を讀みたい爲に先生はドイツ語の學習を始められたのである。吾輩はこの時、先生にラドロフ氏(Radloff)の 〔Atlas der Alterthu:mer der Mongolei〕 其の他二三のこの種の書物を用達てたが、其の時先生は愈※[#二の字点、1−2−22]ドイツ語を勉強すると言はれたことがある。
年六十になんなんとして、然も『成吉思汗《ジンギスカン》實録』の著述に參考する必要があるといふ間接の事情から、困難なるドイツ語を勉強せられたのは、根氣の薄い日本人の間に於ては、稀有の美談といはねばならぬ。先生がモレンドルフ氏(Mollendorf)やシュミット氏(Schmidt)の著書によりて、滿洲語や蒙古語の研究を始められたのも、やはり是の時からの事と記憶する。吾輩は滿洲語や蒙古語は皆無承知せぬから、先生の之に對する造詣の何如をいふことが出來ぬ。
先生の學界に於ける
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