て、朝鮮に於ける我が宗主權は一旦失はれたけれども、以前の關係から、我が國では決して朝鮮と同等の交際はいたさぬ。例の異國牒状事に據ると、朝鮮と日本との關係が絶えた後でも、日本の君主は天皇、朝鮮の君主は王と稱すべき慣例で、この慣例を無視した文書は、我が國で受取らぬこととなつて居る。この考が始終日本人の腦裡に殘つて居る。徳川時代に國學が盛になつてから、日本の古代の歴史が研究されると共に、この考が一層強きを加へる。明治維新後、朝野の大問題となつた征韓論も、ここに間接の關係を有することと思ふ。
 歐米諸國に對しても、徳川幕府の訂結した不對等條約は、その當時から國論を沸騰せしめた。明治の御世に入つても、この不對等なる條約を改めて、國權を擁護することは、擧國一致して熱望した所で、維新以後の外務卿、若くは外務大臣にとつて、條約改正問題は、常にその暗劍殺となつて居つた。
 所が明治の發展によつて、此等新舊の懸案は、皆立派に解決されて居る。日清戰役を界として、日本と支那との位置は轉換し、支那はわが國の下風に甘ずることとなり、日露戰役後は、我が國は世界の一等國に列し、幕末以來引繼いで來た、不對等條約も、この
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