のがある。制度・文物・學術・宗教等あらゆる文化は、支那より傳はり、若くは支那を經て、我が國に傳はつたもので、その反對に日本固有の文化、若くは他國の文化でも日本を經て、支那・朝鮮の大陸に傳はつたといふ場合は、殆ど見當らぬ。要するに明治以前に於ける、我が二千五百餘年の長き歴史を振り返つて見ても、戰爭の場合といはず、平和の場合といはず、我が日本が原動力となつて、支那や朝鮮の局面に大變化を來したといふ場合は、極めて稀有である。所が明治の御世となると、頗るその趣を異にして居る。明治の御世殊に日清戰役後の十七八年の間に、わが國は非常なる發展を遂げた。この間に東亞の方面に起つた大事件は、一として直接若くは間接に、我が日本國の發展の影響を被らぬものはない。是點より考察すると、明治以前の二千五百餘年の歴史より、明治の御世、殊に最近十七八年間の歴史の方が、遙に内容豐富ともいへる。
明治年間に於ける我が國の發展は、多方面に渉つて居るが、東洋史の立場から觀ると、大要左の五項に概括し得ることと思ふ。
二 朝鮮の併合
朝鮮は過去に於て、我が國と隨分深い關係があつた。殊に神功皇后の御世から
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