にもなり、或る時は奴隷にもなり、また或る時は乞食にすらなつたといふ、極めて波瀾の多い冒險的旅行家である。彼の『東洋巡歴記』はその死後に、十七世紀の初期に公にされて、廣く歐洲諸國人に愛讀されたが、その内容が如何にも奇怪で、可なり誇張もあるから出版の當初は荒誕なる虚構談として取扱はれ、シエクスピアの如きもピントを世界第一の虚言者と極印を付けて居る。されど今日では彼の『東洋巡歴記』の内容は、大體に於て事實と認められて來た。
 ピントの『東洋巡歴記』に據ると、彼は生活の爲に他の二人の同國人と共に、支那の海賊船の乘組員となつたが、この海賊船が難船して、我が大隅の種子島(Tanixuma)に漂着したから、ピントを始め三人のポルトガル人も我が國に上陸する事になつた。ピントはこの事件の年代を明記してないが、我が國の史料と對照すると、天文十二年(西暦一五四三)の出來事たること疑を容れぬ。ピントの同伴者の一人であるゼイモト(Diego Zeimoto)の携帶した鳥銃が、偶然その漂着地の領主の種子島|時堯《ときたか》の注意を惹き時堯はその鳥銃を買ひ受け、併せて製銃法、射撃法、火藥製造法などを傳習せしめた。こ
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