に日本に輸入した。丁度織田豐臣徳川と相承けて、群雄割據の時代が次第に天下一統の氣運に進むと、日本國内の景氣も頓に立ち直り、贅澤高價な舶來品も盛に需要された。ポルトガル人は南蠻物及び唐物を我が國に輸入することによつて、少くとも十割の利益を擧げたといふ。この莫大な利得の外に、彼等は輸入物貨の代償として我が國から主として金銀――當時多量に産出した金銀――を受け取つて、之を海外に輸出した。當時我が國に於ける金の價値は、歐洲や印度に比して可なり低かつた。例へば當時歐洲では金一に銀十三乃至十四内外の相場に對して、我が國では金一に銀十内外の相場であつた。ポルトガル人の輸入物貨の代償として最も多量に銀が支拂はれたが、金も相當に支拂はれた。若し彼等が金を受け取る場合には之を印度以西に輸出して、銀と交換することによつて、二重の利益を收め得たはずである。
ポルトガル人が我が國に通商したその最盛時期には、一年に約四百二十萬兩の金銀を我が國から輸出したであらうといふ。されば寛永十六年(西暦一六三九)にポルトガル人の通商終結するまでの約九十年の間に、ポルトガル人が我が國から持ち出した金銀は、莫大な額に達せねばな
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