に於て、諸方の鑛山が盛に發掘せられ、金銀の産出が頗る多量であつた。現に三浦茂信の『慶長見聞集』に、諸國に金山銀山多き中にも、佐渡ヶ島は格別で全島金銀より成立する寶の山で、年々この島から發掘される莫大な金銀が内地に運び込まれ、民間にも金銀の行き渡れる事實を述べて、
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民百姓まで金銀を取扱ふ事、難有御時代なり。誠に今がみろくの世にやあるらん。
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と記してある。十七世紀の末期に我が國を觀光したケンフェル(Kaempfer)の日本史に、當時でも日本の産出する金屬の中で、黄金が最も豐富であるが、その以前は一層豐富で、佐渡から産出する金鑛は、鑛石一斤の中から、黄金一兩時には二兩さへ得られる程、稀有の良質であるとて、『慶長見聞集』の記事の正確さを保證して居る。兔に角ポルトガル人渡來直後に於ける我が國に、金銀の豐富であつたことは疑を容れぬ。
 ポルトガル人は十六世紀の半頃から十七世紀の初半にかけて、約九十年間日本に通商したが、その間に彼等は歐洲や印度から、奇器や香料や藥品や毛織物などを輸入する外に、それよりもマカオ港で仕入れた、支那の絹織物及び生絲を、多量
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