介、殊にヂパングの黄金無量といふ吹聽は、尠からず慾深の歐洲人を刺戟した。一體元時代に東洋に旅行した人の紀行又は記録も尠くないが、その中でこのマルコ・ポーロの旅行記はその内容に於てその書き振りに於て、一番世間に歡迎せられ、西暦十四世紀から十五世紀にかけて、相當廣く愛讀された。廣く愛讀されるに從つて、愈※[#二の字点、1−2−22]大なる刺戟を歐洲人に與へ、この刺戟が遂に新大陸の發見といふ世界史上の大事件出現を促す一大原因となつたのである。
上に申述べた通り、元時代に東西兩洋の交通が盛大になつて以來、東洋貿易も盛大になつて、歐洲人の東洋産物の需要、從つて歐洲に輸入される東洋産物は、日に月に、多きを加へて來た。歐洲人は最早東洋物産なくしては殆どその日常の生活に差支へるといふ状態となつて來た。西暦十四世紀の頃に於る東西兩洋の一番普通な交通路は、陸上では支那から出て今の新疆省の地面を經て、中央アジアに出で、アラル海や裏海の北方を通つて、黒海の邊に達する。要するにシベリアの西南の黒海方面に出ると、茲に澤山なイタリーの商賈が居つて、彼等の手で東洋から來た産物を、地中海沿岸の國々へ販賣するのである
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