。海路の方は南支那から印度洋を經て、紅海に出で今のスエズ邊りから上陸して、シリア若くはエヂプトに到達すると、茲にもイタリーの商賈が待ち受けて、彼等の手で東洋舶來の物産を、地中海の沿岸諸國に販賣するのである。
 所が困つたことは西暦十四世紀の中頃から十五世紀にかけて、トルコ帝國が勃興して來て、次第に勢力を張り、黒海もシリアもエヂプトも漸次にトルコの手に歸し、又は歸せんとする形勢になつて來た。かくてヨーロッパとアジアとの交通路が海陸ともにトルコの爲に威嚇され、又は遮斷されることになつた。元來歐洲諸國とトルコとは、不倶戴天の仇敵の間柄である。第一にトルコはマホメット教を奉じ、歐洲諸國はキリスト教を奉じて信仰を異にして居る。第二にトルコは新興の勢を擧げて侵略の手をヨーロッパ方面に向け、歐洲諸國と絶えず交戰するといふ有樣であつた。その宗教上政治上不倶戴天の仇敵たるトルコの爲に、大事な東洋方面との交通路を遮斷威嚇されることは、歐洲諸國にとつて堪へ難い大苦痛であつた。そこで十五世紀の半頃から歐洲諸國ではトルコの勢力から離れた、東洋への新交通路を發見すべく熱心に努力した。この發見に努力すべき新交通路は
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