日本國民は外國と觸接する機會ある毎に、その新しい文化、新しい知識を攝取すべく努力したので、この點は餘程朝鮮人や支那人と趣きを異にしてゐると思ふ。支那人や朝鮮人などは古代に於ては、日本よりも遙に交通上、便利な位置に立つたのであるが、その外國の新知識や新文化を取入れる熱心さにおいて、到底日本人のそれに比較にならぬのである。日本人は支那人や朝鮮人に比して、遙に外國の新知識や新文化を攝取するに熱心であつた。これが東亞に於て日本のみが今日の如く優勝の地位を占めるに至つた主要なる原因であらうと思ふ。
我が國は歐米諸國と交通を開いて以來、殊に明治時代に、盛に西洋の文物を輸入した。その熱心さは世界の驚嘆する所であるが、併しこの態度は、必ずしも西洋の文物に對してのみでなく、また明治時代に限つた譯でない。維新の五ヶ條の御誓文の一にある、知識を世界に求めて、大いに皇基を振起することは、我が國古來傳統の大方針と認めねばならぬ。そのかみ唐と交通した時代に、支那の文物を輸入した熱心な態度も、またポルトガル人の來航した時代に、極西の知識を輸入した熱心な態度も、格別明治時代のそれに遜色がなかつた。私は二三の實例を擧
前へ
次へ
全42ページ中3ページ目
小説の先頭へ
文字数選び直し
桑原 隲蔵 の一覧に戻る
作家の選択に戻る
◆作家・作品検索◆
トップページ
登録
ご利用方法
ログイン
携帯用掲示板レンタル
携帯キャッシング