海外に輸出することを許可せぬ。それに大陸を遠く離れた絶海中の孤島であるから、この國へ外國商人の通商する者稀有である。此等の事情により、この國民は言語に絶する程の多量の黄金を有する譯である。今予は「讀者の爲に」この國王の驚くべき宮殿の有樣を物語らうと思ふ。この國王は頗る廣大な宮殿を有して居らるるが、此宮殿の屋根瓦はすべて純金製である。更に又この宮殿の建物と建物との間を連結する鋪石は「石の代りに」厚さ幾寸といふ黄金の板敷である。また各部屋の床板も矢張り同樣に厚さ幾寸の黄金の板である。故にこの宮殿の價値は計算以上で、とても普通の人には信用出來ぬ程高大なものである。蒙古の現時の大汗「世祖」忽必烈(Cublay)はこの島の黄金の無量なる由を傳へ聞き、之を併呑せん爲に、さてこそ征伐の軍を起した譯である。
[#ここで字下げ終わり]
かくてマルコ・ポーロは蒙古軍の我が國への入寇の有樣や、暴風による蒙古艦隊の大失敗などを、詳細にその旅行記中に記載してある。マルコ・ポーロもアラビアの地理學者のイブン・コルダードベーと同じく、否それ以上に、我國を黄金の寶の島扱ひにして居るが、彼の東洋の榮華繁昌についての紹介、殊にヂパングの黄金無量といふ吹聽は、尠からず慾深の歐洲人を刺戟した。一體元時代に東洋に旅行した人の紀行又は記録も尠くないが、その中でこのマルコ・ポーロの旅行記はその内容に於てその書き振りに於て、一番世間に歡迎せられ、西暦十四世紀から十五世紀にかけて、相當廣く愛讀された。廣く愛讀されるに從つて、愈※[#二の字点、1−2−22]大なる刺戟を歐洲人に與へ、この刺戟が遂に新大陸の發見といふ世界史上の大事件出現を促す一大原因となつたのである。
上に申述べた通り、元時代に東西兩洋の交通が盛大になつて以來、東洋貿易も盛大になつて、歐洲人の東洋産物の需要、從つて歐洲に輸入される東洋産物は、日に月に、多きを加へて來た。歐洲人は最早東洋物産なくしては殆どその日常の生活に差支へるといふ状態となつて來た。西暦十四世紀の頃に於る東西兩洋の一番普通な交通路は、陸上では支那から出て今の新疆省の地面を經て、中央アジアに出で、アラル海や裏海の北方を通つて、黒海の邊に達する。要するにシベリアの西南の黒海方面に出ると、茲に澤山なイタリーの商賈が居つて、彼等の手で東洋から來た産物を、地中海沿岸の國々へ販賣するのである
前へ
次へ
全21ページ中12ページ目
小説の先頭へ
文字数選び直し
桑原 隲蔵 の一覧に戻る
作家の選択に戻る
◆作家・作品検索◆
トップページ
登録
ご利用方法
ログイン
携帯用掲示板レンタル
携帯キャッシング