闍梨であるが、之と共に今一人の般若三藏を見逃がしてはならぬ。大師自身も、その「與[#二]本國使[#一]請[#二]共歸[#一]啓」に、
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著[#二]草履[#一]歴[#二]城中[#一]、幸遇[#二]中天竺國般若三藏、及供奉惠果大阿闍梨[#一]、膝歩接足、仰[#二]彼甘露[#一](『性靈集』卷五)。
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と明言されて居る。この般若三藏の住する醴泉寺は、右街の醴泉坊に在つた。我が慈覺大師もこの寺の宗穎に就いて教を請はれたことがある。
 般若三藏は北印度|迦畢試《カピサ》の人で――『性靈集』に、中天竺國般若三藏とあるのは、想ふに、この三藏が主として中天竺で修業した故であらう。『宋高僧傳』の卷二に、迦畢試の智慧を收め、卷三に※[#「よんがしら/(厂+(炎+りっとう))」、第4水準2−84−80]賓の般若を收めてあるが、之は何れも同一の般若三藏を指したものかと疑はれる――天竺を歴游した後ち、海路から廣州に來り、徳宗の建中三四年(西暦七八二―七八三)の頃に長安に到着した。長安で偶然その近親の羅好心――羅好心の父は般若三藏の母の同胞で、羅好心と般若三藏とは表兄
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