す迄もなく、當時の航海は帆船に乘るので、風の利用が第一に緊要である。所が當時日支間の航海に、この風の利用が十分研究されて居なかつた。一體西は紅海より、東は日本海に至る、東洋の海上に吹く風の方向は、季節によつて略一定して居る。所によつては多少の相違はあるが、極めて大體を見渡して、陰暦の四、五月から七、八月にかけては、多く西南の風が吹き、九、十月から翌年の一、二月にかけては、多く東北の風が吹く。その以後は復た西南の風が吹き出すといふ樣に、季節によつて吹く風の方向が略一定して居る。これは西暦六十年の頃に、エジプトのアレキサンドリアの住人ヒッパルスといふ人が始めて發見して、航海に利用したと傳へられるので、ヒッパルス風とも、また恆信風ともいはれた。この風の利用が開けて以來、西洋から東洋に渡航するには、西南風を利用して四・五月の頃から發船する。その反對に東洋から西洋に出掛けるには、十月以後に發船する。帆船時代には皆この恆信風を利用したもので、唐宋時代の歴史を見渡すと、南洋や西洋の貿易船が支那に入港するのは、大抵夏の五月の南風の吹く頃で、之を夏迅といひ、その貿易船が西洋や南洋へ歸航するのは、冬の十月
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