と、友人は友人で愚痴をこぼす。それだけならば支那旅行中には有り勝の出來事で、珍らしくもないが、その日の夜中に、友人が大聲で喚き立てるので、側に寢て居た私は喫驚して起き上ると、その友人は小心小心――支那語で注意せよの意味――そら復た引くりかへつたと、日本語と支那語との合子の寢言《ねごと》を申して居るのである。餘程晝間の顛覆が身に沁みたのであらう。
※[#「さんずい+卞」、第3水準1−86−52]州から西の方、唐の洛陽(今の河南省河洛道洛陽縣)まで、四百{支那}里餘りで、今は※[#「さんずい+卞」、第3水準1−86−52]洛鐵路が開けて、約七八時間位で到着することが出來るが、馬車では普通五日又は六日を要する。一々の道筋の説明は省略するが、洛陽の手前、日本里數で三里たらずの所に、有名な漢代の白馬寺がある。今日の建築は明末清初のもので、さまで盛觀とはいへぬが、唐代には規模廣大で、又旅客の必ず通過すべき道筋に當るから、前途を急がるる大師も、支那佛教上忘るべからざるこの白馬寺には、必ず探訪されたことと想ふ。
白馬寺を通過すると、やがて洛陽に着く。洛陽に新舊の二がある。舊洛陽は漢魏時代の都で東に
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