百{支那}里北に進むと、遂に※[#「さんずい+卞」、第3水準1−86−52]州(今の河南省開封道開封縣)に達する。現時の運河は江蘇から山東に入るが、唐・宋時代の運河は、山東へ行かずに、河南へ入つて※[#「さんずい+卞」、第3水準1−86−52]州に達した。元來運河とはその名の示す如く、國都へ糧米を運漕する堀河である。隋・唐時代の國都である洛陽・長安、宋の國都の開封(即ち※[#「さんずい+卞」、第3水準1−86−52]州)へ糧米を供給する運河であるから、隋・唐・宋時代に、この運河が河南に入るのが當然で、山東を通るやうになつたのは、今の北京へ糧米を運ぶ必要の生じた、元・明以來のことである。
 ※[#「さんずい+卞」、第3水準1−86−52]州は北宋時代から一層繁華となるが、唐時代でも支那で相當の大都會であつた。ここには、唐・宋時代にかけて有名であつた相國寺がある。運河は※[#「さんずい+卞」、第3水準1−86−52]州で一段落を告げる。黄河にも荷物船は通ずるが可なりの急流を溯ることとて、中々時日を要するから、旅客は之を利用せぬ。まして上述の如く前途を急がるる我が大使大師の一行は、勿論※[#
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