、漢族を統治することとなつたのである。勿論晉室が南渡しても、漢族の多數は依然北支那に住んで居る。北支那の主權が匈奴・羯・鮮卑・※[#「低−にんべん」、第3水準1−86−47]・羌と移轉しても、漢族の人材は何れの種族にも登庸された。併し要するに彼等は劣敗者である。被治者である。衣冠の華族すら胡人の陵侮を免れ得れば幸とする世の中であつた(12)。彼等の多數は漢狗とか一錢漢とかいふ侮辱を甘受せなければならなかつた(13)。漢狗とは狗同樣の漢人といふ意味で、一錢漢とは一文奴の漢人といふ意味である。かくて塞外種族の大臣大將の下に、日一日と塞外の風氣が北支那に浸潤彌蔓するのは、自然の勢といはねばならぬ。
之に反して南支那は、その間、終始漢族の天子を戴いた。漢族の士民も亦尠からず、晉室と共に南に移つた。或は兵力を以て強逼されて、本意ならず移つたものもある。江淮以南の地、到る處に僑郡又は僑縣を建てて、茲にこれら新來の北人を安插した。殊に王氏・謝氏を始め、中國の名族甲姓は、多く亂を避けて江南に徙り、當時のいはゆる僑《ケウ》姓となつた。僑姓僑民は當初こそ故土を思慕して、南土の版籍に列することを拒んだけれ
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