一
支那の古代に於ける漢族の根據地、從つて支那の文化の中樞は、北支那に限つたもので、南支那は全然無關係であつた。南北支那の區別は、必ずしも一定して居らぬが、大體より論じて、北支那とは主として黄河の流域地で、今の直隷・山西・山東・河南・陝西・甘肅の地に當るのである。南支那とは揚子江の流域、殊に主として江南の地を指すのである。今の地理でいへば、湖南・江西・浙江・福建・廣東・廣西諸省の地である。湖北・安徽・江蘇三省の地は、その大部は江北に在るけれども、勿論南支那の範圍に屬すべきものである。但この三省の北部殊に淮北の地は、むしろ北支那の色彩を帶びて居る事實を否定することが出來ぬ。
ドイツの Richthofen は古代に於ける漢族の發展に就いて、大要次の如き見解を下して居る(1)。
(1)漢族は所謂堯舜時代より遙か以前に於て、支那本部の地に移轉して來た。彼等の原住所は不明であるが、支那の古典の記事から推して、彼等が曾て甘肅西部の所謂河西地方に住居したことは疑を容れぬ。
(2)この河西地方から崑崙山脈の北麓に沿ひ、今の蘭州府(甘肅)鞏昌府(甘肅)等を經て、渭水の上流に出で、次第に東に進
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