、佩[#二]僕璽[#一]而爲[#二]行事[#一]と記してある。僕璽とは太僕の官印のことである。始皇の時に天子の印に限つて玉を用ゐ、之を璽と稱することとなつた。
これらの規程は、要するに始皇帝が金科玉條と奉じて居る、尊君抑臣主義の一端を發揮したに過ぎぬ。先秦の歴史を通覽すると、代一代と君權漸長の痕を認めることが出來る。周禮の作者たる周公旦の如きは、君權擴張の棟梁である。天子は七廟、諸侯は五廟、大夫は三廟、士は一廟とか、天子の堂は高さ九尺、諸侯は七尺、大夫は五尺、士は三尺とか、天子に崩といひ、諸侯に薨といひ、大夫は卒、士は不禄、庶民は死といふとか、天子の墳には松を樹ゑ、諸侯は柏、大夫は欒、士は槐、庶民は楊柳を樹うるとか、あらゆる方面に於て、煩瑣なる規程を設けて、上下の區別を嚴にしたのは周時代である。始皇帝は要するに古來漸長しつつあつた、尊君抑臣主義を大成した人といはねばならぬ。漢以後陽に秦を非難しつつ、陰に秦にならつて、是等の名稱を採用して居るのは、始皇の政策が時代の要求に適した證據ともいへる。
三
〔諡法の廢除〕 諡《おくりな》は周よりはじまつたもので、『逸周書
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