、第3水準1−88−16]瑁・珠※[#「王へん+幾」、第3水準1−88−28]等殊域の産物の輸入が日に多きを加へる。やがて中國の市舶、大秦の賈船の往來が始まるといふ風に、東西交通の序幕が、茲に開けることとなつた。
〔匈奴征伐〕 始皇は更に北の方匈奴を驅逐した。支那の歴史に據ると、匈奴の祖先は淳維といひ、夏の桀王の後と稱して居る。夏の後などは、固より信憑するに足らぬが、その祖先の淳維といふ名が訛つて、匈奴といふ種族の名となつたものであらう。始祖の名を其の儘種族の名とすることは、北狄に普通の慣習である。匈奴の文字は戰國時代から始めて使用されて居る。その以前は或は※[#「けものへん+嚴」、第4水準2−80−56]※[#「けものへん+允」、第4水準2−80−30]《ケンイン》、或は※[#「けものへん+僉」、第4水準2−80−49]※[#「けものへん+允」、第4水準2−80−30]或は葷粥・薫育・※[#「けものへん+熏」、第4水準2−80−53]鬻《クンイク》等、區々一定して居らぬ。しかし何れもフンニの音譯で、ただその文字を異にしたのみである。即ち西暦四世紀の頃から西洋史上に現はれ來るフン種族
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