の當時に、四百六十餘人の諸生中に、一人でも男子らしい者があつて、自からその犯罪を名乘り出で、一同の犧牲となつたならば、決して彼が如き大事を惹き起さなんだに相違ない。坑儒事件に就いては、始皇の暴戻を責めんより、むしろ諸生の卑怯を憫むべきことと思ふ。
私は上數章に渉つて、始皇の内政の重なる點を紹介したが、之によると、彼の政策は多少非難すべき所があつても、大體に於いて時勢に適切であつたことは、否定すべからざる事實である。その他始皇は天下の武器を沒收したこともある。地方の城壁を撤去したこともある。また天下の富豪十二萬戸を國都咸陽に移住させたこともある。何れも割據の餘風を破つて、一統の實效を擧げ、地方を彈壓して、中央を鞏固にするには必要なる政策といはねばならぬ。
七
眼を轉じて始皇帝の外交策を見ると、彼は徹頭徹尾對外硬であつた。彼は南北に向つて異族征伐を實行し、帝國主義を發揮して居る。この異族征伐には、かのアレキサンダー大王のアジア征伐の如く、豐太閤の朝鮮征伐の如く、一種の政略をも含んで居るのは勿論である。六國を討平した彼は、異族征伐か外國侵略によつて、國民の注意を外に
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