の方士を寵用したが、その方士の中で侯生・盧生の二人は、始皇帝を詒き、不死の藥を求むる費用として萬金を貪つたが、固より藥は見當る筈なく、早晩詐僞暴露して、罪に處せられんことを恐れ、行掛けの駄賃に、散々始皇を誹謗して逃亡した。始皇は金を騙られし上に、惡口されしこととて大いに怒り、侯盧二生と日夕往來して、朝廷や皇帝を誹謗した在咸陽の諸生を驗問させた。所がこれら諸生は、徒に一身を免れんが爲に、卑劣にも甲は乙に、乙は丙にと互に罪を他人に嫁したから、拘引の範圍は次第に廣まり、遂に四百六十餘人の檢擧となつたが、眞の犯罪者は發見出來ぬ。始皇も處置に窮して、容疑者全體を坑殺することとした。これが所謂坑儒事件の實相である。
 右の事實に由つて觀ると、坑殺された諸生は多く方士である。其うち幾分儒生も混じて居つたやうであるけれど、此等の儒生とても、咎を人に嫁して平然たるが如き破廉恥漢で、儒生の名あつて儒生の實なきものである。殊に彼等は何れも誹謗妖言の犯罪容疑者である。無辜の儒者を、何等の理由なくして殺戮したものと、同一視することは出來ぬ。
 犯罪容疑者を擧げて無差別に坑殺したのは、やや亂暴の譏を免れぬが、當時
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