の字点、1−2−22]その先代の政を繼承せしを始め、その他の列國でも、悉くは中央政府の制度を循奉して居らぬ。『中庸』に今天下車同[#レ]軌書同[#レ]文といひ、『詩經』に「溥天之下、莫[#レ]非[#二]王土[#一]。率土之濱、莫[#レ]非[#二]王臣[#一]」といへるが如きは、畢竟一種の希望若くは理想を述べたるものに過ぎぬ。眞に天下劃一の政を見るを得たのは、始皇帝以後のことである。
 始皇帝は六國を併合すると、法度といはず、權量といはず、丈尺・車軌・律歴・衣冠・文字まで、すべて劃一主義を※[#「厂+萬」、第3水準1−14−84]行した。彼が四方に立てた碑文に、或は器械一[#レ]量、同[#二]書文字[#一]と勒し、或は遠邇同[#レ]度と刻し、この點に關して得意滿面の態を示して居るのも、無理ならぬ次第である。中にも吾人の注意に値するのは、始皇帝が文字の整理に熱心なりしことである。彼は文字を統一したのみならず、またこれを改良した。複雜不便なる古文を省略して、所謂秦篆を作り、更に之を平易にして隷書を作つた。これら文字の整理によつて、當時の社會が如何に大なる便益を受け得たかは、設想に難くない。始
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