吾が輩はリチャルド(夏之時)氏の支那人の智的能力に關する左の所説に深き共鳴を感ずる。
[#ここから2字下げ]
〔過去に於ける〕支那の教育組織は國民の記憶力を發達せしめた代りに、その判斷力やその推理力を萎縮せしめた。故に支那國民の智識は散漫で表面《うはつら》で、統一を缺き、又徹底して居らぬ。彼等は全然批判的精神をもたぬ。彼等は原因と結果との關係に就いての思慮が十分でなく、又事件の全體を達觀することが出來ぬ。彼等の個人的若くば團體的行動の間に、多量の淺慮と盲信とを認めることが出來る。
[#ここで字下げ終わり]
此の所説を基礎として、支那の過去や現在を可なりよく了解することが出來るやうに思ふ。
之に就いて憶ひ起されるのは支那の車夫である。現時は知らぬが、今から十年も以前に、北京や天津邊りを觀光した人は、誰も經驗する如く、支那の車夫は客を乘せると、その行先きを問ひ質さずに、自分勝手の方向に驀進する。若し、不幸にしてその乘客が土地不案内であると、まるで自分の目的とは反對の方向を引き廻され、車夫も無駄骨折をすることが稀でなかつた。同樣の缺陷が支那の學者に着き纏うて、彼等の研究は常に批判が十分でない。支那の學問の中心は經書に在るが、支那の學者は經書の解釋に全力を盡くす。此の如くして通志堂經解とか皇清經解とか續皇清經解とか、經書の解釋は文字通り汗牛充棟の多きに達するが、その經書の眞僞、さてはその製作年代等に就いては、彼等は殆ど研究の手を着けぬ。故に四書五經の中に、その來歴の徹底的に究明されたものは一部もない。支那の學者は畢竟本體の不明な經書の解釋に忙殺されて居るので、行先きを問ひ質さずに驀地《まつしぐら》に驅け出す車夫の態度と同樣である。
車夫はどうでもよい。經學者もまあよい。されど一國の存亡安危を背負ふ支那の政治家も、この著しい缺陷をもつて居るのは、困つたことと申さねばならぬ。しばらく外交方面を見渡しても、支那の政治家は今もその傳統的の以[#レ]夷制[#レ]夷政策を改めぬ。この政策も稀に用ふると小利を博することもあるが、元來が他力本願で之を常用すると大害を招く。そは宋代の歴史が明瞭に教示して居る。宋は女眞(金)の力を手頼《たより》に、契丹(遼)を滅ぼしたのはよいが、それも束の間で宋自身も女眞の爲に支那の北半を占領され、契丹の時よりも一層の壓迫を受けた。蒙古(元)が起り、女眞の
前へ
次へ
全9ページ中4ページ目
小説の先頭へ
文字数選び直し
桑原 隲蔵 の一覧に戻る
作家の選択に戻る
◆作家・作品検索◆
トップページ
登録
ご利用方法
ログイン
携帯用掲示板レンタル
携帯キャッシング