勢が傾くと、宋は復た女眞を裏切り、蒙古と協力して女眞を倒したのはよいが、やがて宋自身も蒙古に併呑されて仕舞つた。かかる過去の苦き經驗も、未だ支那の政治家を十分に覺醒せしむるに足らぬ。目前の打算に明かで大局の利害に暗い支那の政治家は、今も以[#レ]夷制[#レ]夷政策を固執する。之が爲に自國の開發を沮み、東亞の平和を害せしこと夥しい。
 昨年末に最後の日本訪問をした孫文氏は、その前後に、日本はアジアの一國であることを打忘れ、白人の仲間に加はり、その手先となつて彼等同樣の侵略主義を行うた。白人をして東亞に跋扈せしめた一半の責は日本人が負はねばならぬ。支那に排日の起つたのも當然である。日本は今後その非を改め、支那と提携して白人に對抗せなければならぬ。日支の親善が東亞の平和の保障で、その日支の親善は日本人が現實に努むべき義務があるかの如き意見を述べて居る。日支の親善の必要なることは、吾が輩も孫文氏と同感である。ただ氏が過去に於て日本がアジアの一國たることを打忘れたとか、侵略主義を取つたとか、乃至白人の跋扈を助長したとかの非難は、誣にあらざれば妄と申さねばならぬ。過去に於て支那人こそアジア人たることを打忘れた樣であるが、我が日本人は終始アジア人たることを忘れなかつたのみでなく、更に自餘のアジア人をしてアジア人たることを自覺せしめた。そは日露戰役が明白に之を立證して居る。

         四

 日露戰役はアジア人にとつては實に破天荒の一大事件であつた。アジアの一小島國たる日本が、その幾十倍もある白人の大強國たる露國と開戰して、見事之を打破つたといふ事實は、全アジア人に、否アジア人以外の有色種族にさへ餘程深大なる感動を與へた。白人東漸以來絶えず、その不法な壓迫を受けながら、到底抵抗は不可能と斷念して居つた黄人が、彼等も努力如何によつては、隨分白人の壓迫から離脱することが出來る。否、更に一歩を進め、白人に對して、痛快なる復讐をも成し遂げ得らるるといふ實例が示されたのである。
 日露開戰の少しく以前から、活動寫眞が次第に世間に持て囃されて來た。日露戰役はこの活動寫眞にとつて好箇の映寫物となつた。日露戰役の當時から爾後三四年間は、この戰役の活動寫眞が、アジア大陸到る處で空前の歡迎を受けた。印度人、ビルマ人、安南人、シャム人、支那人、南洋人等は、何れもこの活動寫眞を見物して年來の溜飮
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