然るべき軍職に就いて落着して居る。
この匪徒の招安に關して、古來種々の笑話が傳へられて居る。中にも南宋の頃に福建の海賊の頭目の鄭廣といふ者が歸順して、相當の官吏に取り立てられたが、その同僚は皆彼の泥棒出身であるのを輕蔑して、役所の會食の折にも彼一人だけを排斥するといふ風であつた。鄭廣は聖人面する彼の新同僚が、支那官吏の常習として、何れも中飽――袖下《そでのした》――を貪つて居ることを察知して、一日極めて皮肉な詩一首を作つて彼等の廻覽に供した。その詩は、
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鄭廣有[#レ]詩上[#二]衆官[#一]。文武看來總一般。衆官做[#レ]官却做[#レ]賊。鄭廣做[#レ]賊却做[#レ]官。
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といふので、その意味は諸君は官吏となつて賊を行ひ、僕は賊を行うて官吏となつたので、唯手段に前後の差あるのみで、畢竟同志と稱すべきものなるに、何が故に僕一人を排斥するかといふに在つたから、傷持つ一同は苦笑して、爾後その態度を改めたといふ。
鄭廣が皮肉つた支那官吏の收賄聚斂は天下に著聞して居る。態※[#二の字点、1−2−22]事新らしく吹聽するに足らぬ。「爾俸爾禄。民脂民膏。下民易[#レ]虐。上天難[#レ]欺」と題してある、所謂戒石の銘が各衙門の正面に刻されてあつても、古來の弊風は少しも改まらぬ。民國以來この腐敗一層を加へたと傳へられて居る。ブランド氏は支那政府が日本を始め諸外國から借り受けた巨額の借款は、その名義の如何に拘らず、大部分は軍閥や議員や官吏の懷中に消え失せたと公言して居る。此等の事情を考へると、目下北京で開催中の關税會議によつて、首尾好く關税が増收されても、それが果して支那の内治の改良や國民の福利に資し得るかは、大なる疑問といはねばならぬ。極樂息子達に巨額の遺産を讓り渡した場合の樣に、軍閥や職業政治家が、この増收を目當に、一層の爭鬪や腐敗を助長する危懼がないでもない。萬一此の如きことありては、今囘の關税會議は豫期とは反對に、支那國内の紛爭の種を蒔く結果とならぬとも限らぬ。しかのみならず關税の増收は、却つて一般支那國民の消費税を加重する恐がある。されば關税増收の使途を、嚴重に監視若くば監督することは、支那には氣の毒でも、事情已むを得ざることかと思ふ。
三
支那人の性格や能力に就いて、種々の説が發表されて居る中で、
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