論じてゐる。我が國の新聞や雜誌の記者にも、かかる見解を公にした人が尠くなかつた。されど支那の學生が學業を外に國事に奔走(?)したのは、歴史上珍らしいことでない。然も學生の活動は、多くの場合その國家に幸せなかつた。殊に南宋時代の大學生の如きは、無責任な空論を唱へて當路の大臣を苦しめ、當局の怯懦は愈※[#二の字点、1−2−22]彼等を増長させ天下を擧げて學生の世界と化し去り、その状況は民國以來の有樣を髣髴たらしむるものがあつた。猾智に長ぜる宋末の宰相の賈似道は、奇貨利用すべしとて、學生を籠絡してその位置を固め、籠絡された學生は賈似道を謳歌して遂に宋祚を滅亡の淵に陷れた。當時の落首ともいふべき、
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※[#「鼓/卑」、第4水準2−94−67]鼓驚[#レ]天動[#レ]地來。九州赤子哭哀哀。廟堂不[#レ]問平[#レ]戎策。多把[#二]金錢[#一]媚[#二]秀才[#一]。
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の一詩が、雄辯に之を證明して居る。
 近時の支那學生の妄動をヂュウェー博士の如く、新に目覺めた支那青年の愛國的精神の發露と解すべきか、將た又支那に古來有勝な學生(處士)の横議の一例、從つて淺慮と盲信とに滿てる支那人の團體的行動の一例と解すべきか。その何れが正當な解釋であるかは一の疑問と思ふ。

         七

 支那の軍隊も古今を通じての厄介物である。それでも漢時代には、胡兵五而當[#二]漢兵一[#一]など稱せられて、支那の兵士も相當勇敢で素質も好かつた。唐の中世に兵農分離して、兵士を雇募することになつて以來、その素質は日一日と低下して、「遂に好鐵不[#レ]打[#レ]釘。好人不[#レ]當[#レ]兵」――滿足な人間は軍隊に入るべきでないとの意味――とか「鐵到[#二]了釘[#一]。人到[#二]了兵[#一]」――零落の眞底に陷る意味――とかいふ諺まで出來、兵士といへば人間としての最劣等の屑物を意味するに至つた。北宋の歐陽脩は當時の軍隊に就いて、「不[#レ]足[#三]以威[#二]於外[#一]。而敢驕[#二]於内[#一]」――外寇を防ぐことが出來ぬ弱い軍隊、されど國民だけを虐げることが出來る強い軍隊――と嘆息して居るが、その嘆息はその儘民國今日の軍隊に適用することが出來る。いかにも民國の軍隊は裝甲タンクをも使へば、飛行機をも用ゐて居る。その隊制や武器からいへば、立派
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