えず東亞の問題に歐米人を引き入れ來たのは、實に支那の政治家でないか。
五
孫文氏に限らず、支那人はよく日本の侵略を攻撃して排日の題目にするが、その實日本は支那に對して毫も侵略を行つて居らぬ。臺灣の割讓は當然のこととて問題にならぬ。臺灣を除くと、支那人が日本攻撃の的にした、若くば的にする、山東でも、旅大でも、日本は支那から獲得したものでない。列國の利權は多く口舌の間に、直接支那から獲得したが、日本のみは多大の人命金錢を擲つて、然も事實上支那の既に放棄して仕舞つた土地や利權を、露國やドイツから讓り受け又は繼承したのである。格別支那人から彼是非議さるべき筋合のものでない。勿論長い間には日本の對支政策にも感心出來ぬ點があつて、支那人の感情を害したこともあらう。されどこれとてその時代の趨勢やら支那の状態やら、乃至日本としての立場を考慮したらば、一概に日本のみを咎め難いと思ふ。
日本人は早くから白禍の横溢に焦慮して居る。從つて日支親善の必要をも痛感して居る。最近數年間に亙る我が國の新聞雜誌を通覽しても、萬口一調に日支の親善を主張して、殆ど一人の異議を唱へる者がない。寧ろ日支親善に傾き過ぎずやと氣遣はれる位である。吾が輩も無論日支の親善を結構と思ふが、親善には相手が必要である、相手の實情をも考慮せずに、日本のみが親善に齷齪するのは、聊か餘計なことかとも思ふ。支那人の對日感情は近來可なり良好となつたと傳へられて居るが、併し關税會議に日本の委員が支那の主張に贊成したからとて、直に親日の氣運が濃厚になり、刻下の騷亂に、我が在滿居留民保護の爲に出兵の噂があると、直に排日の運動を開始せんとするが如き、手を飜せば雲となり、手を覆せば雨となる樣な、輕薄にして打算的な親善ならば見合せたがよい。眞に日支の親善を成立せしめんには、先づ支那人が覺醒して、過去の弊竇から擺脱することが必要である。
六
支那に政變の機が動くと、例によつて學生の妄動が始まり、兵士の掠奪が行はれる。昨今の新聞紙上にも彼等關係の記事が散見して居る。學生の妄動は民國以來殊に著しくなつた。山東問題に關する彼等の煽動暴擧を、米國のラインシュ公使やヂュウェー博士等は頗る善意に解して、新教育を受た支那學生の愛國的精神の發露と見做し、將來の支那は此等學生の示せる愛國的精神によつて隆興すべしと
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