u』卷十一、録大梁事の條)。
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 元末天下騷擾の際、張巡の再生と呼ばるる※[#「ころもへん+楮のつくり」、第3水準1−91−82]不華が、淮安を固守すること五年に亙つたが、至正十六年(西暦一三五六)十月に城の陷る頃には、城中糧盡きて盛に人肉を食した。
[#ここから2字下げ]賊{軍}……攻圍{淮安城}。日益急。{官軍}總兵者。屯[#二]下※[#「丕+おおざと」、第3水準1−92−64][#一]。相去五百里。按[#レ]兵不[#レ]出。凡遣[#レ]使十九輩告[#レ]急。皆不[#レ]聽。城中餓者仆[#二]道上[#一]。即取啖[#レ]之。一切草木、螺蛤、魚蛙、燕烏。及※[#「韋+華」、第4水準2−92−16]皮、鞍※[#「檐」の「木」に代えて「革」、184−13]、革箱、敗弓之筋皆盡。而後父子、夫婦、老穉更相食。撒[#レ]屋爲[#レ]薪。人多露處。……城陷。不華猶據[#二]西門[#一]力鬪。中[#レ]傷見[#レ]執。爲[#二]賊所[#一レ]臠(『元史』卷百九十四、※[#「ころもへん+楮のつくり」、第3水準1−91−82]不華傳)。
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これがその當時
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