フ記録である。
その後約三百年を經て、明末の李自成が開封を攻圍した時の慘状は、更に一層甚しい者がある。當時の史料に『守※[#「さんずい+卞」、第3水準1−86−52]日志』がある。籠城者の一人李光※[#「殿/土」、185−1]の筆録したもので、備さに開封城中の糧食缺乏の有樣を傳へ、その崇禎十五年(西暦一六四二)八月初八日の條に、
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人相食有[#二]誘而殺[#レ]之者[#一]。有[#下]群捉[#二]一人[#一]殺而分食者[#上]。毎[#三]擒[#二]獲一輩[#一]。輒折[#レ]脛擲[#二]城下[#一]。兵民競取食[#レ]之。至[#二]八月終九月初[#一]。父食[#レ]子。夫食[#レ]妻。兄食[#レ]弟。姻親相食。不[#レ]可[#レ]問矣。
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と記して居る。清初に出た大梁(開封)の人周在浚の『大梁守城記』には、同一事を一層詳細に傳へて、
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{崇禎十五年}八月三日。五城巡兵倶割級。獻[#二]周邸[#一]。挾[#二]重賞[#一]。仍賣[#二]民間[#一]爲[#レ]糧。一首率三四金。或云皆良民。四日。中丞勒[#二]富民巨室[#
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