吏を處分した時の状況が、『舊唐書』に「探[#二]取其心[#一]。截[#二]去手足[#一]。割[#レ]肉而啖[#レ]之」(卷百八十四、宦官傳)と記されてある。徳宗時代の大將李懷光は、その養子の石演芬が、己に反對するのを怒つて、その左右に命じて之を臠食せしめんとした(『資治通鑑』唐紀四十六、興元元年の條、『舊唐書』卷百八十七、下、忠義傳)。されば Solayman の傳ふる所(※[#ローマ数字I、1−13−21])は悉く事實と認めねばならぬ。隋唐時代の支那人は反逆者を殺して、その肉を食したことも事實であれば、彼等は病死の者を除き、杖殺された又は斬殺された者の肉を、平氣で食用したことも事實である。
支那人の Cannibalism の實例を擧ぐる場合に、決して隋末唐初に出た朱粲のことを逸してはならぬ。彼は劇賊の首領で、二十萬の部下を率ゐて中原を横行し、到る所で居人を掠奪殺戮して粮食に充てた。『舊唐書』にこの事實を次の如く記述してある。
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{朱粲}軍中※[#「(聲−耳)/缶」、第4水準2−84−70]竭。無[#レ]所[#二]虜掠[#一]。乃取[#二]嬰兒[#一]蒸而※[
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