事實を傳へたものと斷ぜねばなるまい。
『莊子』の盜跖篇に據ると、孔子が大泥棒の盜跖を説諭に出掛けた時、盜跖は人肉を肴に晝食を取りながら、孔子を恫喝して、
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疾走歸。不[#レ]然。我將[#下]以[#二]子肝[#一]益[#中]晝餔之膳[#上]。
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というた。『莊子』には寓言が多いから、孔子と盜跖の問答などは、勿論その儘に事實と受取ることが出來ぬけれども、盜跖篇の作者が、此の如き文句を使用して居る點が、Cannibalism の研究者にとつて、一顧の價あると思ふ。荀子が陵墓發掘のことを論じて、
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雖[#二]此※[#「にんべん+果」、第3水準1−14−32]而埋[#一レ]之。猶且必※[#「てへん+日」、163−7]也。安得[#二]葬埋[#一]也。彼乃將[#下]食[#二]其肉[#一]。而※[#「齒+乞」、第4水準2−94−76][#中]其骨[#上]也(『荀子』正論篇)。
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といへるは、假定の推理で、當面の事實を述べたものではないが、併し彼が澆季の時勢を憤慨して、「故脯[#二]巨人[#一]而炙[#二]嬰兒[#一]矣」(正論篇)と述べたる所は、彼が見聞した事實と認むべきであらう。『戰國策』の中山策に、魏の樂羊が中山を圍んだ時、中山の人はその城中に居つた樂羊の子を烹て羮を作り、之を樂羊に贈つたことを記して、
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樂羊爲[#二]魏將[#一]攻[#二]中山[#一]。其子時在[#二]中山[#一]。中山君烹[#レ]之作[#レ]羮致[#二]於樂羊[#一]。樂羊食[#レ]之。
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といひ、ほぼ同一の記事が『韓非子』(説林上篇)にも見えて居るのは、明かに人肉食用の事實である。
若し仔細に先秦の經傳諸子を點檢したならば、更に幾多の材料を提供し得るであらうが、上來の憑據だけでも、十分に支那古代に於ける Cannibalism の存在を證明するに足ると思ふ。
三
秦漢以後も歴代の正史記録に、Cannibalism の事實が疊出して居つて、支那人の人肉を食用するのは、決して一時の偶發でなく、寧ろその傳統的慣習なることを發見することが出來る。『史記』の項羽本紀を見ると、漢楚交戰時代に、楚の項羽は漢の高祖の父太公を擒として、之を俎上に置いて高祖を威
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