居る通り、支那開闢以來未曾有の現象である。保守的な支那人の間に、この革新の氣運が何時まで繼續するかは可なり疑問である。たとひ繼續することにしても、支那人は日本と違つて、古來殆ど自國の文明のみを保持して來たので、他國の文明を攝收して、國運の増進を圖つた經驗が多くない。西洋の新文明を輸入するにしても、如何にして其國の舊文明と調和せしめるであらうか。
 東西の文明の調和といふことは、我が日本にとつても重大なる問題に相違ないが、併し我が國は或は三韓、或は隋唐と、古來外國の文明を取つて、自國のそれと調和せしめた經驗に乏しくない。かかる經驗のない支那は、この問題の爲に、一層の苦心を要すべき筈である。
[#地から3字上げ](大正五年五月『支那研究』所載)



底本:「桑原隲藏全集 第一卷 東洋史説苑」岩波書店
   1968(昭和43)年2月13日発行
底本の親本:「東洋史説苑」
   1927(昭和2)年5月10日発行
※著者自身の「自餘の二十篇は大抵舊作の原文に依つたが、今回付刊の際、全篇を通讀して心附いた點は、若干増補を加へた。その増補の箇所には〔 〕符を附して識別して置いた。」(『東洋史説
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