居る。
〔支那は禮儀第一の國である。あらゆる禮儀の中でも、喪禮が古來尤も重大視されて居る。されど後世になると、支那の喪禮は形式のみで精神がない。五胡時代に後燕の昭文帝の皇后の喪禮を行うた時、百官が宮廷に會同して哀を擧げた。一同大聲を揚げて形式的に哭するのみで、泪など流す者は一人もなかつた。昭文帝は彼等の空々しい擧動を心憎く思ひ、目附役に命じて、泪を流して居らぬ者を調査して處分させた。百官達は意外の處分に恐惶して、次の式日からは、皆懷中に唐辛一包づつ用意して置き、哭する場合には、唐辛を含んで強いて泪を出して處分を免れたといふ。
支那程喪禮の喧しい國はなく、支那ほど喪禮に實哀の伴はぬ國はない。今日でも支那の葬式は、外觀の形式の仰々しい割合に、肝心の死者に對する哀情が伴はぬ。葬列には職業的泣男まで加へるといふが、喪主その人は喫煙しつつ談笑するなど、われわれ日本人から見ると、腹立しく感ぜられる場合が多い。單に喪禮のみに限らず、あらゆる支那の古代の禮教が、その形骸のみを留めて、その精神を失ひつつあるのは、慨しい極みである。〕
いくら保守的の支那人でも、長い年月の間には、種々の必要上、隨分制
前へ
次へ
全38ページ中34ページ目
小説の先頭へ
文字数選び直し
桑原 隲蔵 の一覧に戻る
作家の選択に戻る
◆作家・作品検索◆
トップページ
登録
ご利用方法
ログイン
携帯用掲示板レンタル
携帯キャッシング