は、支那人の孝行は、極めて形式的であるといふ證據にもなり、又一面では彼等の手紙は極めて紋切型のものであるといふ證據にもなると思ふ。
 支那人は一般に精神よりも、形式に重きを置く傾向がある。これも彼等の保守氣質と關係せしめて、説明することが出來る。上に述べた通り、支那人は先例を重んじて之を固執する。長い年月の間には、種々の事情の爲、先例そのものの精神が疾《とく》に失はれても、その形式だけを大事に守つて行く。支那人の習慣のうちには、名實隔離して、他國人から觀ると隨分奇妙なことが多い。
 支那人は孝を百行の本として、最大の善行と認める。忠孝と併稱する中にも、支那では孝が國家なり社會なりの基礎となつて居る。歴代の政府は、何れも孝行を獎勵する。孝道尊重は確に支那人の一美點に相違ないが、ただ何事にも精神を後にして、形式を先にする支那人は、孝行といへば、裸體で氷上に臥して、親の病氣の平癒を神に祷るとか、昔の二十四孝の極端な手本を、その儘に眞似する者が尠くない。勿論之には名聞利慾の爲といふ動機も加はつて居るが、兔に角極端な眞似をする。そこで政府は孝行を獎勵しつつも、流石に極端な形式的孝行は時々禁止して
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