『黄帝素問』とか、『子夏易傳』とか『子貢詩傳』とか、或は『關尹子』或は『鬻子』等、古人の名を負ふた僞書は、一々列擧するに堪へぬ程である。世界の中で支那ほど僞書の多い國はなからうと想ふ。支那の大學者で、僞作家の嫌疑を受けて居る人が尠くない。漢の劉※[#「音+欠」、第3水準1−86−32]、魏の王肅、隋の劉※[#「火+玄」、第3水準1−87−39]など皆それである。古書を僞作する動機は種々あるが、所詮は支那人が古書を尊信するといふことと、離るべからざる關係が存するものと思ふ。

         四 支那人の保守(下)

 支那人は一般に模倣は上手であるが、應用が不得手である。之は勿論彼等の先天的素質にもよることならんが、一は古人の手本のみに重きを置く、いはゆる依[#レ]樣畫[#二]胡蘆[#一]といふ、後天的原因も亦與つて力が多いことと思ふ。それも畢竟先例に重きを置くと同樣、型に捉はれ易い氣質をもつて居るからである。
 三十餘年間支那に居つたスミスといふ米國の宣教師は、曾て支那の教師は無冠の帝王であると評したことがある。支那では教師の一擧一動は、すべて學生の手本となるからである。支那の學生
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