史上の事實と照らし合せて見ると、この支那民族の特質が一層明瞭になる。故に我が輩はこの論文に於て、主として歴史上の事實を基礎として、支那民族の文弱で保守であることを證明せようと思ふ。

         一 支那人の文弱(上)

 支那人が平和的文弱的である原因は種々あらうが、その主要なるものを擧げると、次の如くであらうと想ふ。
 (一)[#「(一)」は縦中横]支那人の先天的性質がむしろ文弱的である。
 (二)[#「(二)」は縦中横]支那人の間に行はれた古來の學説は、一般に平和思想を鼓吹した。先づ儒教を觀ると、その祖師たる孔子は、弟子の子貢に治國の要件を尋ねられた時、足[#レ]食、足[#レ]兵、民信[#レ]之の三箇條を擧げて居る。即ち一國に財政と軍備と、上下の信用が必要であると答へた。子貢は更にこの三者の中で、已むを得ざる事情の爲、その一を去るべき必要ある時は、先づ何れを去るべきかと尋ねたら、孔子は先づ軍備を去ると答へた。子貢が最後に財政と信用との二者の中で、是非その一を去らざるべからざる場合には、如何すべきかと尋ねた時、孔子は財政を去ると答へて居る。要するに孔子の考へでは、立國の要素は
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