と申出たが、滿場から笑殺されて仕舞つたといふ。笑殺されても、支那委員の言ふ所は先づ事實である。澤山な戰爭をしても、支那人は決して好戰でなく、又文弱でないともいへぬ。
 支那人の文弱は一概に輕侮すべきでない。無暗な好戰より文弱の方が、世界の平和の爲にも喜ばしい。されど現在は民族競爭の時代である。武裝の時代である。この時代に、然も時代の犧牲となつて、尤も痛切に列強の壓迫を受けて居る彼等支那人が、依然文弱の氣風を改めぬならば、彼等の前途の爲に痛心に堪へぬ。殊に其の文弱が高遠なる理想に本づくのでなく、目前の怯懦を藏する爲めの文弱の如きは、支那の將來に對して大なる禍根と思ふ。〕

         三 支那人の保守(上)

 支那人は文弱的であると同時に、保守的である。支那人がしかく保守的であるのは、種々の原因があることと思ふ。
 (一)[#「(一)」は縦中横]支那人の先天的性質が保守的である。
 (二)[#「(二)」は縦中横]上古から支那人の文明が、その四隣の異族の間に卓越して居つた。故に支那人は古から自國の文明を自負し、之を唯一絶對のものの如く妄信して、その維持保存に力を用ゐた。この慣習が第二の天性となつたのである。
 (三)[#「(三)」は縦中横]支那人の間に久しく偉大なる勢力を有して居つた儒教そのものが、保守尚古的である。孔子も述而不[#レ]作、信而好[#レ]古というて居る。彼は要するに先王の祖述者で、古代の謳歌者である。尤も孔子は温[#レ]故而知[#レ]新、可[#二]以爲[#一][#レ]師矣というて、古を好むと同時に、現在に對する用意を忽にせぬから、保守主義一方の人ではないが、併しその末學になると、多く保守思想に囚はれて居ることは、爭はれぬ事實である。孟子の如きは、
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遵[#二]先王之法[#一]而|過《アヤマツ》者、未[#二]之有[#一]也。(中略)故曰爲[#レ]高必因[#二]丘陵[#一]。爲[#レ]下必因[#二]川澤[#一]。爲[#レ]政不[#レ]因[#二]先王之道[#一]。可[#レ]謂[#レ]智乎。
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というて居る。兔に角『孟子』七篇の中には、保守尚古の氣分が充滿して居る。
 儒教のみでなく、支那に起つた諸學説は、概して保守主義に傾いて居る。莊子が當時の學者を評して、尊[#レ]古而卑[#レ]今、學者之流也と申して居る
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