時代から諸外國人の間に知れ渡つて居る。元時代に支那に十數年間滯在したイタリーのマルコ・ポーロは、
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蠻子《マンジ》(南支那人)が若し侵略的種族であつたら、彼等は優に全世界を征服し得るほどの多人數である。されど讀者は杞憂することを要せぬ。此等の蠻子は何れも缺點なき商人、又は怜悧なる職工たるに適するのみで、兵士たるべき資格は全然具備して居らぬ。
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と申して〔居り、また清初に支那に布教したスペインのナヴァレットも、
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支那人は學問を修め、商業を營み、美術骨董品を作るには適當であるが、戰爭をなし得る柄でない。
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と述べて〕居る。
この點から考へると、日清戰役前後から始まり出し、日露戰役によつて一層流行し、今日猶ほ世界の一大問題となつて居る所謂黄禍論――黄人種が行く行く白人種を壓倒すべしといふ議論――は、頗るその根據を失ふ譯である。勿論黄禍論は可なり複雜であるが、若し黄禍論を戰爭の方面のみに限り、また黄禍の主人公を支那人のみに限つて考へるならば、確に荒誕不稽の論と斷言し得るのである。成る程過去千五百年の間に、アジア人が歐州に侵入して、隨分白人を壓迫した事實はある。西暦五世紀には匈奴の侵入があつた。十三世紀には蒙古の侵入があつた。十五世紀からはトルコの侵略も始まつた。併し此等の殺伐な塞外種族と、文弱なる支那人とを同一視するのは、確に間違であらうと思ふ。
〔近く百年間の歴史を見渡すと、支那は隨分諸外國相手に交戰して居る。若し義和團の亂に關する北清事件を加へると、殆ど世界の列強のすべてと交戰して居る。されど此等の交戰は、多くの場合、支那にとつて不本意の交戰であつた。支那人の立場から觀ると、これらの戰爭は諸外國から押賣されたものである。去る明治四十年にオランダで開かれた第二囘萬國平和會議で、戰鬪開始の時期が問題となり、或は通告を要すといひ、或は通告を要せずといひ、彼此議論を鬪はした時、列席の支那委員は、戰鬪開始に先だつて通告するのはよいが、相手がその通告に應ぜざる場合は如何にすべきか。我が支那の如きは、何等戰鬪の意思なきに、屡※[#二の字点、1−2−22]諸外國から戰鬪を押賣された。今後も他國から戰鬪開始の通告を受けても、我が國では容易に之に應ぜぬ積りであるから、この場合の規定が必要である
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