十年前まで、北京の動物苑や、保定の觀工場は、奇數の日は男の入觀すべき日、偶數の日は女の入觀すべき日と區別してあつた。この慣習も主として男子の猜疑心や嫉妬心の強い所に歸因するかと思ふ。支那歴代の後宮に宦官を使役する動機も亦、之と同一と視るべきであらう。宦官の弊害の顯著なるに拘らず、何れの時代――最近の民國時代を除き――でも之を廢止したことがなく、又その廢止を主張した學者すら殆ど見當らぬ。宋の司馬光や明の丘濬《キウシユン》や、明末清初の顧炎武・黄宗羲の如き、支那有數の政治學者ですら、宦官の弊を論ずるに當つては、ただその位置を低下せよとか、その員數を減少せよといふに止まり、更に進んで徹底的に宦官の廢止を要求して居らぬ。此の如きは一面『詩經』や『書經』に宦官のことを載せ、聖人も是認した制度であるから、廢止すべきでないといふ、例の尚古思想に囚はれる故でもあるが、一面猜疑心の強い支那人は、女子を監視するには、中性又は無性の宦官でなければ、安心出來ぬといふ心理状態に基くものと思ふ。
 三十餘年間南支那に布教した、米國宣教師のスミスが著はした『支那人氣質』中にも、支那人の猜疑心の深いことに就いて、幾多
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