乾くを待つべしと教へたといふ。支那官吏の苦心、實に慘憺たるものではないか。
 同じく唐の大臣に蘇味道があつた。事を處するに常に模稜兩端を持し、決して明白なる意見を建てぬ。故に時人蘇模稜と稱したと傳へられて居るが、多少の差こそあれ、支那の官吏は大抵蘇模稜の流亞と思ふ。近代の曾國藩の如きも、拙進而巧退の五字を以て、官場成功の祕訣と申して居る。事實支那官場の如き猜疑百出の裡に立つて、一身の安全を期するには、積極よりは消極、活動よりは寧靜、革新よりは保舊をとる方が得策に相違ない。亢龍は悔があつても、括嚢には咎がない。猜疑心の強い支那人は、他人の爲すべきことには牽掣を加へて、自分の爲すべきことは推※[#「言+委」、読みは「い」、501−11]する。推※[#「言+委」、読みは「い」、501−12]と牽掣では一事も成功する筈がない。光緒三十一年(明治三十八)に、貝子載振が中國の官制改革を奏請した時に、推※[#「言+委」、読みは「い」、501−13]と牽掣を擧げて、中國官制の二大弊竇と指摘して居る。この二大弊竇は、畢竟支那人の猜疑心に由來するものと認めねばならぬ。

         八 支那人の猜疑
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